2010年06月01日

Comment Card

私が担当するすべての授業で,Comment Card と称するA5サイズの用紙を毎回全員に配布し,授業の終わりに提出させている。いわば「出席カード」代わりなのだが,学生番号と氏名を書くだけだと出席扱いにはせず,必ず「何か」コメントを記入すること,という指示を与えている。「何か」は何でもよいことになっており,まぁ普通の学生は授業に対する感想やらコメントやら質問などを書いてくるのであるが,まったく授業に関係のないことや力作の絵などを書いてくる学生も多い。もちろんそれでもいいことになっている。これに目を通すのは,授業の後の楽しみである。

スライドや板書(最近は滅多に板書はしなくなったが)に間違いがあったりすると,その場で手を挙げて指摘できる学生はいなくても,この Comment Card には必ず何人かが書いてくれる。これは効能大だ。さらには,後であの日はどんな講義をやったかな,と思い出す必要があるとき,自分でも簡単な講義録(講義メモ)は作っているが,この Comment Card にパラパラと目を通すと,だいたいどんな話をしたかが分かる。特に,雑談をしたときなどは,自分の講義メモに書かれていなくても,150人の学生の何人かは必ず反応したコメントを書いてくれているので,これも効能大である。

「面白かった」「つまらかなった」「ねむい」「お腹が空いた」のような簡単なコメントも皆無ではないが,1行程度だと白紙と同等とみなすよ(=つまり出席扱いにならない)と言ってあるので,面白かった場合はどこがどう面白かったかが書かれているし,ねむいときはなぜ眠いかが書かれている。まるで授業に関係のないコメント(たとえば,昨日どこそこに買い物に行って何を買ってきました,のような)も,読むのはそれなりに楽しい。

ふと思ったのは,これってかなり原始的な Twitter かもしれない,ということである。全学生が私の授業をフォローして,自由にコメントを書き込む。この方式を導入し始めたのは遙か10年ほど前だから,Twitter よりもずっと古い。今度から140字以内という制限を付けてみるか?
posted by gecky at 23:55| Comment(0) | TrackBack(0) | 教育・研究 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年10月14日

時間割(再掲)

思うところあって,1年半ほど前に別のブログに書いた記事を再掲:
1日に3つも授業があるなんて信じられない,などと曰っている学生に出くわした。何を言っておるか,と思いつつ,オレが学生の頃なんか朝の1コマ目から5コマ目まで5つ授業のある日もあったぞ,と言ってみたら,えー,ほんとですかぁ? と疑いの目を向けられた,ような気がした。

仕方がないので証拠を示してみることに決定。学部の2年生くらいのがちょうどいいかな。

198x年度,W大学理工学部電気工学科,2年前期時間割:
時限
1システム解析エネルギー変換工学A英語C材料力学B電気製図
2法学B機械工学A電気磁気
学特論
独語IIB上級物理学E電気製図
3工学基礎実験化学B数学C卓球I文学論コンピュータ概論
4工学基礎実験回路理論D数学D
5電気物性計算機ソフトウェアA回路理論D演習独語IIA上級


1〜2時限目が午前で3〜5時限目が午後。1限は朝9時から。5限が終わるのは確か17時50分だった。朝一から始まる日が週に5日。いまでは休みが当たり前の土曜にも授業はあった。何も私1人だけ選択科目をいっぱい取ってこんな時間割にしていたのではなく,周囲も皆だいたいこんな感じだったはず。

それって,出席しなくていい授業とかあったんでしょ? と聞かれそうだが,そんなのはない。いや,1つか2つくらいあったかもしれないが,ほとんどの授業は出席必須。しかも毎回大量に宿題のレポートが出る。したがって,帰宅後は深夜までレポート漬けだったのである。

ときどきこういう昔がたりをしておかないと,いつの時代の大学生も,1日に授業は1つか2つ程度,週休3日は当たり前,などという誤解を与えかねない。現在の大学で,必要な単位数(授業コマ数)が少なくなったのは,何も空き時間に遊ぶためではなく,授業時間の2倍の予習・復習時間を作るためなのである。ということを心して日々勉学に励まなければ,高度な学力など身に付きはしないよ。
posted by gecky at 23:27| Comment(0) | TrackBack(0) | 教育・研究 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年07月10日

デシベル

夜9時頃,学内のとある大きい,じゃなかった,偉い人から研究室に電話があった。この人の声は,専門的に言うとSNRが大きくて明瞭度も高い。SNRが大きいのはNが小さいケースもあるが,もちろんそうではなくてSが大きい。つまり音声のパワーが大きい。つまり声が大きい。パワーが大きくても明瞭度が低い声の人もいるから,ここまで聞き取りやすい大きな声を出せるのは何ていうか羨ましい。

この人から電話をもらうのには慣れているので,いつも即座に電話機の受話音量調節ボタンを操作するのだが,今日は声帯の調子が普段以上に良かったとみえて,受話音量最小設定でなお明瞭度最大というか電話機のスピーカのコーンが振動で外れそうというか。

ずっと受話器を耳から数センチ離して持っていたのだが,思ったよりも長電話になったので,途中でついうっかり耳に密着させたところで最大級の音が来た。電話機のコーンどころか鼓膜が破れる寸前。

帰宅した今になっても耳鳴りがする。
posted by gecky at 22:01| Comment(0) | TrackBack(0) | 教育・研究 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年12月06日

ロシア語

主著者ではないが,とある学術論文がとある学術誌に掲載された。

ロシア語の論文

最後の C.Oka8a みたいなのが私の名前である。ちなみにその前の K.Cupau みたいなのは昔の恩師の名前である。ローマ字からはとても想像つかないが,そういえばロシア語では Restaurant を Pectopah とか書くんだよなぁ。

この雑誌,Journal of 何とか,という立派な英語のタイトルも ISSN も付いているれっきとした学術雑誌なのだが,これでも研究業績になるのだろうか。ちなみに,ロシア語の雑誌名は "ВОПРОСЫ ФИЛОГИИ" である。
posted by gecky at 23:41| Comment(0) | TrackBack(0) | 教育・研究 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年11月08日

平成生まれ

今日は,午後から都内の某高等学校で「模擬講義」の仕事。学校名から女子校かと思ったのだが男子校であった。残念。

対象は,これから進路を考え始める高校2年生なので,年齢は16歳か17歳のはずである。ということは平成生まれである。同じ内容の講義を2回,それぞれ別のクラスというか生徒グループに対して行うが,おそらくは事前の指導が行き届いていると見えて,皆熱心に聞いてくれるので話しやすい。大学の講義でも熱心に聞いてくれる学生はいるが,全員がこちらを見ているなどということは皆無に近い。

昭和生まれと平成生まれで何か違いがあるのかないのか分からないが,毎年同様の仕事をやってきて感じるのは,年々高校生の見かけの年齢が低くなっているように見えることである。一見,この子中学生じゃないの,と思うような生徒がだんだん増えているような気がする。不安なのは,それが客観的(絶対的)な印象ではなく,主観的(相対的)な印象かもしれないということである。

ちなみに今日の高校では,廊下や階段ですれ違う生徒という生徒のほとんどが,見知らぬ私に対して「こんにちは」と挨拶してくれた。最初は律儀に「こんにちは」と返していたが,あまりに多いので途中から割愛。大学生よりよほど可愛い。って当たり前か。

12時20分という妙な集合時間で昼食をとり損ねたので,いま帰り道の途中で遅い食事中。
posted by gecky at 15:03| Comment(1) | TrackBack(0) | 教育・研究 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年08月28日

人食い土人

「人食い土人と宣教師って何?」というコメントをいただいた。誰でも知っているパズルだと思って例に挙げたのだが,そうでもないらしい。

いろいろなバリエーションがあるのかもしれないが,典型的なのはたぶんこういうパターン。人食い土人と宣教師がそれぞれ3人ずついて,川を渡る2人乗りの船が1艘ある。こちら岸でも向こう岸でも,宣教師の人数よりも人食い土人の人数が多くなってしまうと宣教師は食べられてしまうが,同数か土人のほうが少なければ食べられない。船は1艘しかないので,一度渡ったら誰かが乗って戻ってこなければならない。そういう条件のもとで宣教師が食べられずに全員が向こう岸に渡るにはどうすればよいか。

そういえば,Mさん(女性)の場合もそうだったなぁ。深夜まで飲み会とカラオケで遊んだ後,遅くなったので車を持っている男性3人がMさんを家まで送ろうという話になった。しかしMさんは敬虔な既婚者で(なんじゃそりゃ),夫以外の男性と2人きりでは車には乗りたがらない。男性が2人以上一緒なら構わないとのことで,まず1人の車にMさんと別の男性を乗せて家まで送ってから,便乗した男性のために一度戻ってくる。

ま,Mさんを安全に家に送るのも,ベビーカーを放置することなく妻と私の2人が高速ムービングウォークを体験するのも,土人のパズルよりはよほど簡単だが。それにしても,人食い土人ってのはすごい例えではある。
posted by gecky at 19:04| Comment(0) | TrackBack(0) | 教育・研究 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年01月30日

訪問

教員になりたての時分には,こういう学生が年に1人か2人くらいはいたが,最近は年に5人か6人くらいいる。

私の自室は,大きな研究室の内側に含まれるような構造をしている。つまり,廊下側から研究室の扉を開け,我が愛弟子たちが勉学に勤しむ領域を通過して奥に進むと私の個室の扉がある構造なので,在室時はたいていその内側の扉を開けっ放しにしている。これが直接の原因なのかもしれない。が,閉めておくとなんだか中で極秘の作業をしているようで(実際,極秘の作業をするときは扉を閉めるが),開けておいたほうが自分も落ち着くので普段はそうしている。

愛弟子,すなわち研究室に所属している学生たちは,部屋の構造や私の習慣をよく知っているので何の問題もない。問題なのは,それ以外の学生たち,特に低学年の学生たちである。彼らが私を訪ねようと試みるときは,まず6階の廊下から通常は閉まっている研究室の外側の扉をノックする。すると学生領域にいる愛弟子の誰かが「どうぞ」と声を掛ける。するとその学生はおもむろに研究室に入って来る。ここまではまぁ常識的だ。先生の所在を確認し,私の自室の方へやってくる。内側の扉は開いており,すでに本人は私の研究室に入った気でいるから,そのまま前進して私のすぐ傍らまでやってくる。

たいていは気配で気付くが,ときにはいつの間にか自分のすぐ脇に見知らぬ人間が立っていてギョッとする。「誰だお前は」という顔で見るや否や,「あのぅ,先週の課題どうしてもできなくて出せないのですが…」などと素性も名乗らずにのたまう。私は極めて不機嫌になり,質問の内容などどうでもよく「何年生? 名前は? いったいどういう神経してるんだ?」などと口走る。相手はポカンとしてなぜ怒られたのかが分からない。

これが他の場所なら「出て行け!」で終わるところが,ここは教育機関なのでしっかり教育せねばならない。かくして汗だくになりながら人を訪ねる場合の作法を身振り手振り交えて教える羽目になる。いまどきの学生たちはみな素直なので,教えるとみな素直に頷き,はじめて「なるほど」という顔をする。この学生に限って,二度と同じことはしないだろう。

それを忘れた頃,見知らぬ学生がいつの間にかすぐ傍らに立っている。
posted by gecky at 07:42| 千葉 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 教育・研究 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年01月17日

校正用語

校正のシーズンである。学生にとっては推敲のシーズンである。いや,推敲にはたどりつかず執筆のシーズンかもしれない。毎年この時期は赤ペンのインクがたくさん減る。

最近の学生たちはたいてい素直で従順だ。文章に赤を入れて返すと,まずほとんどの場合,その通りに修正してくる。時には「ここんとこ,先生はこう直されましたけど,私はもとの文章のほうがいいと思うんですけどー」などと言ってくる学生がいてもよいと思うが,そのようなことは年に1回くらいしかない。したがって,校正を限りなく繰り返すと,しまいには学生の文章だか私の文章だか分からなくなってしまうので,適当なところで打ち切る。どこで打ち切るかの判断が難しいが,もうだいぶ慣れた。

数年前のこと。やはり学生の文章を読みながら,うーん,ここの部分はちょっと違う言葉にしたほうがいいなぁ,と思って赤を入れた。文章の内容は忘れたが,仮に「本研究では,音響的な情報を用いて…」などと書かれていたとして,「情報」よりは「特徴」のほうがいいよな,と思い,「情報」を赤の二重線で消して下に「特徴」と書いた。が,再度読んでみて,まぁ直すほどのことでもないか,コイツの表現を尊重しよう,と,削除した箇所を再度丸で囲み,欄外まで線を引っ張って「イキ」と書いておいた。

修正されて出てきた文章を見たら「本研究では,音響的なイキを用いて…」と書かれていた。
posted by gecky at 22:50| 千葉 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 教育・研究 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
×

この広告は1年以上新しい記事の投稿がないブログに表示されております。