2009年06月16日

エキエル版

ずっと前にも書いたことがあるのだが,ショパンの楽譜で最も信頼のおける版としてヤン・エキエル編のナショナル・エディションというのが少しずつ出版されつつある。10年くらい前までは,ショパンをちゃんと勉強する音大生などが最もよく使っていた版は,おそらく「パデレフスキ版」だったはずで,いまでもかなり使われていると思われるが,ショパンの楽譜の校訂というのはポーランドの国家事業であり(なんせ「パデレフスキ版」を作ったパデレフスキは,ピアニスト兼音楽学者でありながらポーランドの首相まで務めた人物である),国のお墨付きを得た最新版が「エキエル版」なのだから,無視するわけにはいかない。

ちなみに,私の楽譜書庫には,この作曲家に限って同じ曲集が何種類もの版で集めてあるので,100冊近くもショパンの楽譜がある。ベートーヴェンやシューベルトなども,複数の版を持っている曲集があるが,ショパンに関しては,エキエル版,パデレフスキ版,コルトー版,ヘンレ版,ペータース版,ウィーン原典版,全音版などと,メジャーなやつだけでもいろいろあって,それぞれ10〜30冊以上から構成されているのだから,全部集めようとすると非常に厄介である。

問題なのは,その「最も信頼のおける」エキエル版が,まだ完全に出版されていないこと。いちおう2010年完結予定となっているが,本当に完結するのかどうか怪しい。オリジナルがポーランドの出版社であり,日本に輸入されてきているものは,日本語の解説リーフレット入りのものもあればポーランド語と英語の解説だけだったり,最近日本の出版社が頑張って「日本語のエキエル版」を出版し始めたかと思いきや,2冊出したきり一向に次が出てこなかったりで,早く全部集めたい身にとっては,じれったいというか待ちくたびれるというか。

ちなみに,これを全部揃えると37冊にも及ぶ。これまでに収集したのはまだ15冊。しかも,1冊あたり5000円前後と非常に高価である。英語版のカタログページによれば,37冊中25冊はすでに出版済みらしいから,あと10冊はすぐにでも入手可能なはずだが,銀座のヤマハに行っても,世界中の楽譜通販サイトを探しても,品切れなどでなかなか入手できない。

それにしても,残りの12冊も完結したとして,あと22冊。1冊5000円として11万円もかかるらしい。ふぅ。
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2008年11月19日

情報処理

いまの所属学科に移籍するまで8年ほど情報系学科の教員をやっていたので,私のことを情報処理の専門家と思い込む人が多いのであるが(そう思われても別に困りはしないが),実は自分ではあまりそういう意識はない。出身は電気系学科だし,情報処理と名の付く学会に入会する必要が生じたときなど,別分野に首を突っ込むような気がしたほどなのである。(そのわりには,その学会ではなんだかいろいろな役をやらされたのだが,数年前に任務はすべて終了したので退会しちゃおうかな。)

いまの所属学科は,強いていえば「機械+電気+情報系学科」なので,むしろ本来の専門というか出身学科に近付いたとも言える。決して別分野に首を突っ込んだのではない。

…と,誰にも聞かれていないのに言い訳をしておいた上で「情報処理」についての一考察。

私の知る限りで,情報系の専門家(特に大学教員)の多くは,その道に進んだのはコンピュータに興味を持ったのがきっかけと言う。特に我々の世代(30〜40代くらいの世代)は,コンピュータが普及し始めた時期に多感な少年時代を過ごしているので,ハードウエアもソフトウエアも含めコンピュータに興味を持つに充分な環境が備わっていたのである。

それに比べ,いまの学生たちの世代は,そもそもコンピュータに対する感覚が違っている。物心付いた頃からすでにコンピュータが身近にあったろうし,小学生の頃から電子メールやWebなども当たり前に存在したのである。少なくとも私自身は,初めて電子メールというものを使ったのは大学4年生の時だったので,彼らと同世代と言うのは少々苦しい。

私も,他の同世代の情報系人間と同様に,かなり初期の頃からコンピュータに触れてきたので,否応なくそれなりの知識や技術が身に付いてしまっていることは否定しないが,程度の比較をすると,いわゆる「コンピュータ少年」的な接し方には程遠かった。すごい人はすごい。中学生の頃から自分でコンピュータを組み立てたり,アセンブリ言語を使いこなしたり,コンパイラを自作したりしている。少なくとも私はそういうことをした覚えはないし,コンピュータ少年でもなかった。

そう考えてふと思い当たるのが,システム手帳である。しばらく前に「システム手帳ブーム」なる社会現象があったが,あれは私が大学生の頃のことで,それより以前,ちょうど高校に進学した直後の頃,システム手帳(それも特定の某社の手帳)に大いなる魅力を感じて,ほとんど高校の3年間,どっぷりとシステム手帳にはまっていたのである。なぜかその数年後に,世の中がシステム手帳ブームになった途端に興味を失ったのであるが(そういう意味では「マーラーブーム」も同じだ),いまから思うと,あのシステム手帳こそ,私の情報処理的センスのルーツなのではないか。

きっかけは確か,通学路上にあった文房具屋でその某社のシステム手帳を見かけたことだったと記憶しているが,サークルで1年先輩だったT氏が見事にシステム手帳を使いこなしていたのにも影響を受けた。影響といえば,やはり高校のサークルで1年後輩だったT君も,いつの間にか私のようにシステム手帳にどっぷりとはまってしまったのだが,確か彼は文系の学部に進学したにもかかわらず,一時期情報系の会社に就職してSEをやっていたはずである。きっかけが同じだったのかもしれない。

したがって,私にとっての情報処理とは,プログラミングではなく情報整理である。情報整理といえば知的生産と自己啓発である。あの頃,梅棹忠夫氏の「知的生産の技術」をはじめとして,川喜田二郎氏の「発想法」,板坂元氏の「考える技術・書く技術」などの古典名著を読み漁り,大いに影響を受けた。山根一眞氏の「スーパー書斎」シリーズは,まだ高校生だったが出版とリアルタイムで愛読していた。野口悠紀夫氏の「超整理法」がヒットするずっと前のことである。

そういうことを思い出しつつ,少し違った切り口で情報処理の講義をやったら面白いだろうな,と考えたのは,実は2年ほど前である。私の「数値解析学」の授業の半分が,あまり数値解析学っぽくないのはそのためである。
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2007年11月29日

遅刻

こういうイベントを開催したのは昨日のことだが,このイベントにはるばる東北地方から来るはずだった人が来なかった。どうしたのかなと,関係者数名で少しだけ心配はしたのだが,まぁ何か急用でもできたのだろうということで,ひどく心配はしなかった。結果的には,ひどく心配してあげればよかったのかもしれない。

翌朝つまり今朝,その来なかった人からメールが来る。「今,大学にいらっしゃいますか?」なんと,1日間違えて来てしまったらしい。しかも,現地に来て初めて気が付いたとか。

あまりにも気の毒だったので,お昼ご飯でも食べましょうと誘いしばし雑談。結果的に,私と食事をするためだけに遠路はるばる出かけてきてくれたのだから感激。
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2007年02月22日

みんなで並んで写真を撮るときに「ハイ,チーズ」と言うのは,説明するまでもなく,「チー」と言うときの口の形が,笑っているときの口の形と似ているからである。

これはアメリカ由来の文化だが,上の理由を知らずただの呪文だと思っている日本人が「チー」で止めずに「ズ」まで言ってしまうので,日本人の集合写真は,みんな口を尖らせて怒っているように写る,という冗談のような話もある。ちなみに,アメリカ文化では,これの変種として,膝を指さして "What's this?" → みんなで "Knee!"(ニー)というのもある。

今日のカメラマンは「で」を使っていた。「はい,じゃ撮りま〜す,いちにのさん,でー」に合わせてみんなで「でー」。「でー」と言わされることのほうが可笑しいのだが,聞いてみたところ,「いや,『に』とか『し』とかいろいろ試したんですけど,これが一番いいんですよ」とのこと。さすがはプロである。

というわけで,みんないい顔の集合写真を撮るときは「で」と言わせましょう。
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2006年10月28日

帰ってきた青いオサカナ

1か月以上前のとある日。王子と洗面所のシンクに水を貯めてプラスチック製のオサカナ(青・黄・ピンク・オレンジの4色ある)を浮かべて遊んでいたら,いつの間にか水位が一杯になり,オーバーフロー防止穴(というのかどうか知らないが,洗面器から水が溢れないよう横にある穴)から青いオサカナが流れていってしまった。慌てて水を止め,そこから流れ付くはずの配水管を外してみたものの見付からない。軽いプラスチック製だったので勢いでそのまま下水管へ流れていってしまったと思われる。

「アオイオサカナイナクナッチャッタ〜」と泣き叫ぶ王子を,「青いオサカナさんね,きっと海に行っちゃったんだよ。ここにいるより海で泳いでたほうが気持ちいいでしょ。きっとまた帰ってくるから待ってようね」と,必死になだめる。王子との入浴時にいつも4匹浮かべて遊んでいたオサカナだけに,青いのが1匹いなくなってしまったのは何とも哀れである。入浴の度に,「アオイオサカナウミイッチャッタネ。マタカエッテクルネ?」と何度も何度も王子に尋ねられる。

それ以来,オモチャ売り場や駄菓子屋やサービスエリアの土産物売り場などを覗くたびに,あれと同じオサカナセットが売っていないか探したものの見付からない。仕方なく,寿司に付いていたオサカナ形の醤油入れ(たまたま蓋が青いやつ)を代用にしようと,海に行って帰ってきたらカラダが透明になっちゃったよ,と言ってみるも,あの流れていったオサカナと同じとは信じてくれない(当たり前か)。

今朝,シンクの排水が悪い気がしたので,パッキング受けの部分を外して掃除しようとしたら,なんと,横の小さな穴にあの青いオサカナの尾の部分が見えている。オーバーフロー穴から流れた水は,こんなところに流れ込む構造になっていたらしい。

さっそく王子を呼ぶ。抱いて上から覗かせたら「アオイオサカナウミイッテカエッテキタ〜」と大喜び。1か月以上経っているのにちゃんと覚えているのである。この記憶力のスゴさは親譲り? さっそく救出作戦を開始するも,これが意外に難航。オーバーフロー穴からパッキング受けの横に流れる管の径が,オサカナの胴体の幅ギリギリで,背びれの部分が引っかかり容易に取り出せないのである。今日まで見えなかったのも,管の中をゆっくり押し出されてようやく先端まで来たからに違いない。

ラジオペンチとピンセットとドライバーを使い,背びれの部分を少し潰してみたところ,ようやく穴から抜け出てきた。背びれを潰すところを見ていた王子は,「オサカナサンイタイイタイ」と言って号泣。

かくしてめでたく帰還した青いオサカナとその仲間たち。右は1か月代用していたニセ青いオサカナ。
オサカナ
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2006年10月19日

宅配ロッカー

確かに不在のときに新聞をどうするかは厄介な問題である。

私の住むマンションでは,朝刊は玄関先の新聞受けに,夕刊は集合玄関の郵便ポストに入れられることになっているのだが,2日分も溜めてしまえば,不在なのが一目瞭然である。仕方がないので,新聞屋に頼んで止めてもらうと,そこの配達員が空き巣に入る。すごい原理である。

解決策:中が見えない深く大きな箱を新聞受けにすればいいかも。

ところで,いまどきのそれなりのマンションではどこでも至極当たり前の設備のようだが,私のマンションにも「宅配ロッカー」がある。入居する前は,マンション住まいに慣れていなかったこともあって,「ふーん。そんなものがあるのか」と思った程度なのだが,これは極めて便利である。宅配ロッカー付きのマンション人には説明は必要ないが,意外に仕組みを知らない人が多いのでちょっとだけ書いてみる。

不在の間に宅配便や郵便小包が届く。不在なのが分かると,配達員は宅配ロッカー室に行き,あらかじめ持たされている業者用カードを入れてロッカー内に荷物を入れる。すると機械からレシート状の不在配達票が出てくるので,それを配達先の郵便ポストに入れておく。

帰宅して,ポストに不在配達票が入っていたら,これもあらかじめ全戸に持たされている専用のカードを持って宅配ロッカー室に行く。機械にカードを入れると,荷物が入ったロッカーが開く。

荷物が届くのが分かっているときでも待っている必要がないし,配達員にとっても不在の配達先に何度も出直す必要がないから便利なはずだ。要冷蔵品など荷物の内容によっては持ち帰られてしまうこともときどきはあるのだが。

この宅配ロッカー,荷物の受け取りだけでなく,あらかじめ手続きをしておけば荷物の発送やクリーニング預けなどにも使える。最近は,宅配業者に電話1本で荷物を取りに来てもらえるが,即座に来てくれるわけでもないから忙しいときにこの機能は便利である。

しかし,このロッカーの利用情報は,管理会社が遠隔で管理している。荷物が入れられたまましばらく取りに行かないと,催促の電子メールが届く。それでも取りに行かないと電話がかかる。管理会社にはどの家が不在なのかが一目瞭然らしい。小包や宅配便は,いつ届くか分からないから,あらかじめ止めてもらうことなどできず,新聞より危険かもしれない。

しばらくは空き巣に警戒。ということで,最近某試験にも出題されたセキュリティロック(鍵)を全ガラス戸に採用してみることにした。
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2006年10月12日

物持ち

たとえばオフィス用紙の裏紙。すなわち裏面が白い不要な書類。ちょっとしたメモに使えるなと残しておくと,あっという間に増える。だいたい「ちょっとしたメモ」などそんなにたくさんするはずがない。段ボール1箱分ほどにもなり,こんなに裏紙があってもしょうがないかとまとめて捨てようとすると,いかにも資源を無駄遣いしている気がして心が痛む。

デパートの紙袋とか,包装紙とか,お菓子の入っていた箱とか,いちごのパックとか,そういうものもすぐに捨てずに「いつか何かに使えるかも」と残しておくと,あっという間に増える。紙袋が何十枚も必要なことなど滅多にないのにである。

タダ同然のものでもそんな具合だから,買った物であればなおさらである。PCを新調しても古いやつはそう簡単には捨てられない。いつか何かに使えるかも,ととりあえず残しておく。個人でならまだしも,研究室のような組織でこれをやるとあっという間に古いPCが何台も溜まる。溜まる割に,何かに使える機会はほとんど来ない。中古品として下取りに出せば数千円分くらいにはなるのだろうが,私費で購入したわけではないからこれはやりにくい。もとより私の職場では規定の年数以内しか使っていない機器は捨ててはいけない決まりになっている。

パソコンの本体よりも厄介なのはいわゆるCRTディスプレイである。体積が大きいから場所を取る。最近は液晶ディスプレイが安価になってきたので,我が研究室でも数年前から徐々に液晶に切り替えてきた結果,不要なCRTディスプレイがどんどん溜まり,かなりの床面積を占めるようになってしまった。これ欲しい人いない? と学生に聞いてみても,昔と違って贅沢な学生たちは汚れた古いものには見向きもしない。

かくしてなんとなく保存し続けていたのだが,今日,ついに思い立って一気に廃棄を敢行した。裏紙が段ボール一杯になったようなものかもしれない。廃棄に必要な手続きを踏み,粗大ゴミ置き場の鍵を借りてくる。それから学生たちにも手伝ってもらい不要なディスプレイを研究室の中央に集めてみたら,なんと10台ほどもある。もちろんいずれも故障しているわけではなくまだ使えるものばかりである。途上国にでも送れば喜ばれるだろうにな,と思いながら,我々にとっては研究室から少しく離れた粗大ゴミ置き場まで運ぶだけで精一杯。

研究室の床面積が広がった気がしたのでそのまま大掃除モード。部屋がすっきりして学生たち共々喜んだのだが,私は大いなる資源の無駄遣いをした気分になって心が痛んだ。しかし,大掃除の結果,捨てるしかない機器がまだ一山あることが判明したのである。1か月くらい経って心の痛みが和らいでからにしよっと。
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2006年08月22日

平成

元号の話で思い出した。時を遡ること17年前の日記より抜粋編集:

1989年1月7日(土) 晴
7時15分起床。TVを付けた10分後「昭和天皇危篤」のニュース。7時50分頃「天皇崩御」のニュース。(実際には6時33分に崩御されていた)。8時半に家を出る。10時から11時半まで東陽町で塾講師のアルバイト(冬季講習期間中で中2数学の授業)。東陽一丁目バス停から深川車庫行きのバスで辰巳駅,有楽町線で有楽町下車(なぜそんな経路で行ったのだろう)。霞ヶ関の官庁街〜皇居前広場〜第一生命館〜都庁〜有楽町そごう付近の様子を撮影(都庁は国際フォーラムに,そごうはビックカメラになったんだよね)。ほとんどのビルに弔旗が出ている。カメラを持って歩く人多し。日比谷シャンテ横から数寄屋橋まで地下道。途中のベンチで「天皇崩御」の号外を拾う。数寄屋橋で地上に出て,銀座4丁目まで歩き山野楽器へ。ショーウィンドウ内の装飾がすべて取り外され,店内では音楽が一切流れておらず不気味。銀座通りの商店街もネオンや音が一切なく静まりかえっている。人々も皆無口で歩く。洋書イエナ〜ヤマハ楽譜売場〜鳩居堂のコンタックスサロン。14時50分頃,銀座4丁目交差点和光ビル横の電光ニュースで「新元号は平成」に決まったのを知る。有楽町線で池袋へ。駅前で新元号決定の号外を配っている。15時50分発各停で富士見台。16時半から18時まで富士見台教室(上述の塾の別教室)でアルバイト。中3英語の授業。18時29分発で池袋,18時50分発で新木場,19時30分発で新浦安。帰宅。電磁気学の試験勉強。

・・・いまから思えば,「平成」という新元号を銀座4丁目交差点の電光ニュースで初めて知ったというのは,なかなか「オツ」ではないか。

銀座の地下道のベンチに置いてあったのを拾った「昭和天皇崩御」の号外と,池袋駅前でもらった「新元号は平成」の号外は,いまも手元に残っている。
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2006年06月28日

大人の常識

大昔から,学問の基本は「読み書きそろばん」だったはず。

他人が書いた文章を読むことができ,その意味内容がちゃんと理解できること。
ひらがなとカタカナはもちろん,充分な数の漢字を知っていて,それらを綺麗な字で書けること。
生活の中で直面する計算が自在にできること。

同様に,幼い頃に身に付けるべき「基本的な生活習慣」というのもあったはず。

他人に不快に思われないように身だしなみを整え,常に身辺を清潔にすること。
朝起きて,3回の食事を取り,夜になったら寝ること。
公共の場所で他人に迷惑を掛けないこと。

こういう当たり前のことができない大人が多すぎる。ただできないだけでなく,できなくてもいいと思い込んでいる大人も多すぎる。そういう人に限って,英語は読み書きができたってダメで,聞いて話せるのが大事でしょ,と偉そうなことを言う。聞いて話せるのが大事,イコール,読み書きができなくたっていい,ということではないと思うが。

漢字を知らない,とか,字が下手くそ,とか,計算ができない,とかそういう自分の欠点を誇らしげに自慢する人さえいる。どうかしている。

教育者の責任は重大である。
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2006年02月25日

再び西へ

とりあえずポッポの卵たちはそのままベランダに残し,相変わらず体調悪かつ激疲労にもかかわらず,重要な用務のためボーイング777で西へ。こんどは空から綺麗な富士が見えた。

空からの富士

ちなみにこんな座席番号:

シート2K

このエアラインのトリプルセブンは,前3列が特別席で,その直後から一般席である。ジャンボだと一番前の入口の左側が特別席,右側が一般席なので,一般客が特別席の横を通過することはないが,今日は優先搭乗で中に入り,ワインのサービスなどを受けている横を後方に向かう一般客が通過する。ちょっとだけいい気分。でも僅か2000円程度の差なんだけど… 帰りはもっとすごい座席番号なのだ。

なかなか天気がよくて,清水港や御前崎も綺麗に見えた。

清水港 御前崎
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2006年01月17日

授賞

知人からのメール:

     いただいた年賀状が2等賞(デジカメ)でした。
     素敵なお年玉をありがとうございました。
     番号が前後の人は残念がっているのでは。

ふーん。なんだか嬉しいような悔しいような。こういう人がいるから,年賀状300枚来ても4等(切手シート)が3本しか当たらない人がいるんだろうな,きっと。

この知人にはいろいろとお世話になったので,デジカメを進呈してもまぁいいかなと思うことにして,興味を持ったのは「番号が前後の人は〜」の部分。今年の年賀状は,100枚ずつの束を開封し,机に積んで,住所録を見ながら順に書いていったので,前後の人は容易に推測可能なのである。さっそく次の番号と思しき人に問い合わせてみたところ返事が来た:

     ほう、そうだったんだ。
     もともと受け取る枚数少ないし、期待もしてないので、全然調べてないよ。
     ああ、発表されているなぁくらいで。
     ここ何年か、照合もしてないなぁ。

残念ながら,残念がってはいなかったようだ。
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2005年12月07日

平和の象徴

今朝のベビーポッポたち。ちょっと拡大。

ぽっぽ6

1週間ばかりでこんなにも羽根の色が変わるんだね。

そういえば,ハトは平和の象徴である。ハトと聞いて私が真っ先に連想するのは,メンデルスゾーンの「ハトのように飛べたなら」という歌(実に素敵な歌です)であるが,これの原題は "O for the Wings of a Dove" である。

なぜハトが平和の象徴かと言えば,大洪水の後で箱舟に乗ったノアさんがハトを放ったところ,オリーブの小枝をくわえて戻り,平和の吉報をもたらしたからだそうだ。また,キリスト教の世界で著名なルカさんによれば Holy Ghost(聖霊)を象徴する鳥でもあるらしい。

ただし,厳密には,メンデルスゾーンの歌に出てくるハトやオリーブの木をくわえるハトが Dove であるのに対し,我が家で誕生したハトは Pigeon である。辞書によれば,どちらも「ハト」だが,Dove は小さい野生の種類を,Pigeon は Dove よりも大きな野生種およびイエバトを指す,とある。哺乳ビンなどのベビー用品で有名な「ピジョン」という会社も,「平和のシンボルであるハトを社名につけた」と言うが,厳密には「ダヴ」とするべきであったのかもしれない。

面白いのは,Dove の他義が「純潔な人,無邪気な人,可愛い人」であるのに対して,Pigeon の他義が「若い女,だまされやすい人,まぬけ」となっていることである。そりゃ,だまされやすくもない限り,ベランダの隅で孵化したりはしないよな。

そういえば,アヒルだかカモだかのヒナが,最初に見た動く物体を親だと思い込んでしまう,という,いわゆる「インプリンティング」の話がある。そうか,しまったな。いまのところ,かなり接近してもベビーポッポたちは平然としてるし,警戒して逃げるのはママポッポだけなんだよな。思わずエサでもあげてみたくなるのだが,何をあげればよいのやら。ハトだから「豆」ってわけでもないだろうしな。ま,あまり干渉すると親バトが「育児放棄」して子バトを殺してしまう,という説もあるし,鳥インフルエンザのウィルスを持っていないとも限らないので,あまり近寄らないことにするが,いったいいつまで家賃も払わずに我が家に居候するつもりなんだろう。
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2005年11月08日

置換

とある名簿の編集作業を続けている。数十人分の氏名,電子メールアドレス,電話番号,自宅,帰省先,勤務先などの基本的な項目の他に,近況報告として数行のメッセージが書かれている,ただのテキスト形式の名簿である。

なんとなく眺めていたところ「自宅」という項目名称が気になった。「電話番号」という項目が別にあるんだからこれは「自宅住所」とするべきだな。あ,でも「自宅住所」よりは「現住所」のほうがスマートだな。

…と思った瞬間に,何も考えずエディタで「自宅」を「現住所」に一括置換,したのは確か一昨日のことだった。

さっき,再びその名簿を修正しつつ,ある人の「近況報告」の文章を読むともなく読んでいたら,こんなことになってしまっていた。

「…以前,○○先生のご現住所にお招きいただき,…」

やばい。情報処理のセンスなさすぎ。
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2005年09月03日

時間の方向

時差からの回復力は年齢に依存するのかもしれない。若い頃,ぢゃなくて以前は,普段でもよく徹夜していたから7〜8時間程度の時差の解消などどうってことなかった。移動したその日はさすがに辛いが,1日経てば多少眠い程度で済んだ。それがどうもここ数年,回復に2〜3日かかるようになっている。

意外に知られていないが,時差に関して移動する方向は重要である。たとえば日本からアメリカ西海岸に行く場合とヨーロッパに行く場合とでは,どちらも7〜8時間の時差(夏時間かどうかで1時間ずれる。ここでは面倒なのでどちらも7時間とする)だが,その感じ方は大きく異なる。日付を無視すると,アメリカ西海岸は日本より7時間進んでおり,ヨーロッパは7時間遅れている。ヨーロッパに移動した日は,体が感じる時刻が深夜0時のとき,現地時刻はまだ夕方5時である。眠いがいつもより夜更かしするつもりで頑張ればよい。アメリカ西海岸に移動した日は,体が感じる時刻が朝7時のとき,現地時刻はすでに午後2時である。現地で普通に生活するには7時間早起きしなければならない。

夜更かしするのと早起きするのとどちらが楽かと言えば,普通は夜更かしである。したがって,アメリカに行くのとヨーロッパに行くのとでは,同じ7時間程度の時差であってもヨーロッパに行くときのほうが楽である。もちろん,帰りは逆方向だから,ヨーロッパから帰った後はアメリカから帰った後よりも辛い。ただし,旅行や出張では,日本に帰った後は少し休めるのが普通だから,現地で辛いかどうかのみを考えると,ヨーロッパのほうがアメリカよりも楽だということになる。

アメリカでもニューヨークなど東海岸まで行くと日本との時差は10〜11時間になる。ほとんど半日ずれるので,昼夜がひっくり返るかと思うのだが,実際には我々は12時間も眠らないので感じ方の点では7〜8時間と大差ないのが面白い。今年の2月にアメリカに行ったときは,着いた日の午後からさっそく仕事があり,しかもその晩にパーティに出席しなければならないという強行軍であった。往路の飛行機でもよく眠れず,体はそろそろ夜だと思ったら現地はすでに朝で,ほとんど徹夜した翌日同然の初日を過ごした。

要するに,ヨーロッパから日本に来た人を,すぐにパーティに招待してはいけないのである。
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2005年08月11日

212 rue de Tolbiac

懐かしい場所を訪ねて「懐かしい」と思うにはそれなりの条件が必要である。あまりに変化が激しいと記憶の光景と一致しないから素直に懐かしいと感じられず,こんなところだったかなぁと訝しく思う。そういうことはよくある。新しい建物がちらほら増えて,街路樹の雰囲気が少し変わっているくらいならば,以前の景色とはちょっぴり違うが,あぁ確かに何となくこんなところだった,そのくらいが「懐かしい」と思うのにちょうどよい。

ところが,久しぶりの場所を訪ねて,記憶にあるその場所の光景がそっくりそのまま,何も変わっていないとすると,これはただの「懐かしい」では済まない。むしろ,長い時間が瞬時に短絡したような,つい昨日のことのような感覚にとらわれて,何とも言いがたい空虚な「懐かしさ」を受容することになる。なぜ空虚かと言うと,俺はあれ以来ずいぶん長い人生を歩んできたのに,この場所は何も変わっていない,いままでの時間は何だったのか,と感じるからであろう。

そういうことは,相手が自然の場合,たとえば山や海の景色の場合には比較的よくある。どこかの海岸から見る遠くの岩の形など,そう簡単に変わるはずがないのである。しかし,人々が暮らしている街の中の景色ではあまり起こらない。少なくとも東京の近辺では,変化が激しく数年のうちに新しい建物が建つなどごく当たり前のことなので,過去の記憶とまったく同じ光景という事態はなかなかあり得ない。

今日の昼下がり,12年ぶりにパリ13区の 212 rue de Tolbiac (トルビアック通り212番地)を訪ねた。1993年の秋に数ヶ月間だが生活をしていた場所である。

Tolbiac通り

見事に何も変わっていない。道沿いに並ぶ建物どころかお店の看板も記憶のままだし,街路樹も12年前と同じ形である。この景色が目に入った途端,あのときに何を考えてこの道を歩いていたかまで鮮明に思い出したほどである。何とも言い難い空虚な懐かしさが胸にこみ上げる感覚。12年って長いのか短いのかよく分からぬ。
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2005年08月04日

飛行機の子供

初めて子連れで飛行機に乗った。

これまで国際線の飛行機に何十回乗ったかもう分からないが,搭乗前のロビーで子供連れの人を見掛けることはあっても,自分の席の近くに子供が座っていたという記憶はあまりない。国内線では一度だけ,すぐ隣りにお母さんと3歳くらいの男の子の2人連れが座ったことがあった。ずいぶん前のことで私はまだ独身だったし,子育てなど別次元の話だったから,隣りでこの子が大騒ぎでもしたら嫌だなと思ったのだが,結果的にはずっとおとなしく2時間程度のフライトだったからどうということはなかった。

しかしヨーロッパまでは12時間である。初経験なので,奮発して子供分の座席も確保したのだが(ずっと膝に乗せていれば座席は必ずしも必要でない。というか,1歳児のために運賃を支払って座席を取る親などほとんどいないようである),それでもこの子がずっと大泣きでもしたらさぞ付近の座席の客には迷惑だろうな,と心配だったのである。

空港の搭乗ゲートでは,たいていファーストクラスやビジネスクラスの客と同じプライオリティで「おからだの不自由な方とお子様連れの方」が優先搭乗できる。従来まったく人ごとだったが,今回は夏休みでほぼ満席の大勢の旅行客の誰よりも優先的に搭乗できた。それで指定された席についてみたら,周囲には子供が大勢。航空会社にもよるのだろうが,こうして子連れは子連れで1箇所に固め,その他の客への迷惑を最小限に抑えているのだろう。そのお蔭で,途中何度かぐずぐずしたり泣いたりしたが,周囲も同様にぐずる子供だったのであまり気を遣わずに済んだ。

かなり早くにチケットを予約し,「バシネット」と呼ばれるベビーベッド(座席の前の壁に取り付けて使う)もリクエストしておいたので,エコノミークラスながら足元が広い特別席。機内食も「ベビーミール」をリクエスト。これは他のどの客よりも先に配られる。加えてヒコーキの模型などたくさんのオモチャも貰えて息子はご機嫌。12時間のフライトのうち4時間くらいはバシネットで眠ってくれたので,思ったほど疲労困憊せずに済んだのは何よりである。もっとも,残りの8時間ずっと座席でおとなしくしているはずもなく,ママと交代で抱いて機内を散歩したので両腕が激しく筋肉痛。

けっきょく疲労困憊はせずとも予想通り機中では一睡もできず激しく時差ボケ。前々日と前日の往復700kmのドライブも応えている。フランスに着いた日の夜,ようやく眠ろうとしたら,息子の体内時計はすでに朝になってしまい大いに動き回られたのには参った。心配していた飛行機はどうにかなったが,大変なのはこれからかも。
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2005年07月02日

るらすすさすしむ

人間の脳ってスゴイと思うことが時々ある。先日も,職場近くのレストランで1人で食事しながら,ボーっと考え事をしていたら,何の前触れもなく,突然自分の脳から次の文章が出てきた。

るらすすさすしむ,ずむじまほしまし,きけり,つぬたりけむたし,べしまじらむめりらしなり,なりごとし,り,たりたりごとし。

なんじゃこりゃ? と,しばし考えてみてからようやく,それが古文の助動詞の集合だということが判明。これを覚えたのはいつ頃だったことやら。最も遅くても高校生くらいだろうから,20年前の記憶である。大したもんだ。

連想記憶とはよく言ったもので,ついでにこれも出てきた。

がのつをにえとよりゆよよりからにてや,ばともどどもがにをてしてでつつなが,らや,だにすらさへししものみばかり,までなど,はもぞなむやかこそ,なな,そがながもなむばやかかなかもやねかし。

こちらはちょいと自信がなかったので,検索エンジンに入れてみたが,いまはこういう覚え方をする人はいないと見えてヒットしない。

こんなものが頭に入っているくらいならもっと大事なことを覚えていればよさそうなものだが,忘れようにも忘れられないのが脳の困ったところである。もっとすごい記憶はこれかな。

あ−いた,いち−おえ,おお−かて,かと−きよ,きら−こお,こか−して,しと−しん,す−たいこ,たいさ−てる,てれ−にも,にや−ふせ,ふそ−むか,むき−わん。

いかにも完璧。これは遥か昔,私がまだ3〜4歳だった頃に我が家にあった某出版社の百科事典の背表紙である。つまり「あ」から「わん」まで(で始まる)言葉が13巻に分割されており,その巻別のはじめとおわりの文字の順列である。四六時中見ていたから覚えてしまったと見えるが,いまだに頭に入っているのはどうしたことか。肝心の百科事典そのものは,もはや実家に帰ってもどこにあるか分からないんだけどね。

自分ではあまり意識しないのだが,時々「記憶力がよすぎる」と褒められたり怖がられたりすることを考えると,本当に人並み以上の記憶力を持っているのかもしれないな,と思った。
posted by gecky at 21:09| Comment(2) | TrackBack(0) | エッセイ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年07月01日

要領

勤務先のとある部屋に業務用のコピー機が設置されている。誰も使わないときには電源が切られているか節電モードになっているので,そういう時に使うには若干の待ち時間を要する。最近は,電源を入れて待ち時間ゼロでコピーできます,というのを売り文句にしている機種もあるようだが,ここの機械は2分程度待たねばならない。

先日の出来事。ある書類のコピーを取ろうとその部屋に赴き,例によって電源が切られていたのでスイッチを入れてしばし部屋の中をうろうろ。そろそろ使えるかな,という絶妙のタイミングで部屋のドアが開き,両手に山ほどの書類を抱えた某氏が登場。あ,こんにちは,と言うや否やまさに使えるようになって10秒も経たないコピー機に向かってコピー作業開始。あ〜,う〜。。。ま,いっか。。。

5分ほど待っても某氏のコピー作業は終わりそうにないので後回しにして退散。

30分ほどしてから再度その部屋に出向いたら,なんと,コピー機の電源が切られていました。

俺って要領悪いのかな。。。
posted by gecky at 22:44| Comment(0) | TrackBack(0) | エッセイ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年06月20日

作法

電子メールに返信するとき,タイトル(Subject)に Re: と付けたりする。返信なので Response か Reply の略なのかとまず誰でも思う(思わない?)。そう解釈してもいけなくはないのだろうけど,Re というのは省略形でも短縮形でもなく,それ自体が英語の単語なのであって「〜に関して」という意味である。たとえば "Re your letter on June 20" で「6月20日付けの手紙に関して」となる。辞書にも載っており,ラテン語起源の単語らしい。

…という話はけっこう有名なのかな。

ところで最近,ある業者の担当者に,商品の代金の支払いに関してメールを送った。特に何も考えずに,タイトルを,

Subject: 代金の支払い

としたのだが,その返信のタイトルがこれだ。

Subject: Re: 代金のお支払い

おー,「お」が付けてある。芸が細かい。思わずニヤリとして,その業者のポイントが少々アップ。

でも自分じゃやらないだろうな…
posted by gecky at 23:44| Comment(0) | TrackBack(0) | エッセイ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年04月24日

ヒマでヒマでしょうがない

少なくともヒマではないし,それほど忙しくはない,というのも当たらないから,やはり忙しいには違いないのだが,忙しいレベルにもいろいろあるから,なるべく相対的に考えることにして,今日も忙しいけど,平均的なレベルよりは少し忙しくないから,今日はヒマなんだ,と自分に言い聞かせると精神衛生上頗る良いことが分かった。

だいたい,働き盛りの年齢で「いやぁ,最近ヒマでヒマでしょうがないんですよ。」などと言う人はまずいない。それに対して「お忙しそうですね。」と声を掛けたわけでもないのに,自ら「最近忙しくてたまんない。」とわざわざ言う人はけっこう多い。私の場合も,本当に忙しいときに忙しくないフリをするのは至難の業で,忙しそうに見えることが多いらしい。仕事の内容などあまりよく知らないはずの学生たちにさえ,先生毎日忙しそうですね,などと言われる有り様で,これはいけないと思う。

私にとっての最上レベルの忙しさは,言葉にするとこうかな。

「笑っちゃうくらい忙しい。」

これは本当にもう,目の前にやることが山積みで,しかも期限が今日中や明日中のものがいくつもあって,猫の手でも犬の脚でも何でも借りたいけどそうもいかない,仕事の山を前にして思わず笑ってしまいそうになる。普通なら「泣きそうに忙しい。」と言うところを,なぜか泣かずに笑ってしまう。そうして笑いながら徹夜をしたりする。

かつて某委員会でお世話になった某先生に,最近久しぶりにあった。

「いやぁ,あの委員会やめてからヒマでヒマでしょうがないんですよ。ははは。」

うらやましい。もちろん,ヒマなのがうらやましいのではなく,というか実際にヒマなはずはないので,そうやって「私はヒマです。」と堂々と言えることがうらやましい。

私も,笑っちゃうくらい忙しいときでも悠然と「いやぁ,今日はヒマだなぁ。」と言えるようになりたいと思う。
posted by gecky at 22:00| Comment(0) | TrackBack(0) | エッセイ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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