2006年08月22日

平成

元号の話で思い出した。時を遡ること17年前の日記より抜粋編集:

1989年1月7日(土) 晴
7時15分起床。TVを付けた10分後「昭和天皇危篤」のニュース。7時50分頃「天皇崩御」のニュース。(実際には6時33分に崩御されていた)。8時半に家を出る。10時から11時半まで東陽町で塾講師のアルバイト(冬季講習期間中で中2数学の授業)。東陽一丁目バス停から深川車庫行きのバスで辰巳駅,有楽町線で有楽町下車(なぜそんな経路で行ったのだろう)。霞ヶ関の官庁街〜皇居前広場〜第一生命館〜都庁〜有楽町そごう付近の様子を撮影(都庁は国際フォーラムに,そごうはビックカメラになったんだよね)。ほとんどのビルに弔旗が出ている。カメラを持って歩く人多し。日比谷シャンテ横から数寄屋橋まで地下道。途中のベンチで「天皇崩御」の号外を拾う。数寄屋橋で地上に出て,銀座4丁目まで歩き山野楽器へ。ショーウィンドウ内の装飾がすべて取り外され,店内では音楽が一切流れておらず不気味。銀座通りの商店街もネオンや音が一切なく静まりかえっている。人々も皆無口で歩く。洋書イエナ〜ヤマハ楽譜売場〜鳩居堂のコンタックスサロン。14時50分頃,銀座4丁目交差点和光ビル横の電光ニュースで「新元号は平成」に決まったのを知る。有楽町線で池袋へ。駅前で新元号決定の号外を配っている。15時50分発各停で富士見台。16時半から18時まで富士見台教室(上述の塾の別教室)でアルバイト。中3英語の授業。18時29分発で池袋,18時50分発で新木場,19時30分発で新浦安。帰宅。電磁気学の試験勉強。

・・・いまから思えば,「平成」という新元号を銀座4丁目交差点の電光ニュースで初めて知ったというのは,なかなか「オツ」ではないか。

銀座の地下道のベンチに置いてあったのを拾った「昭和天皇崩御」の号外と,池袋駅前でもらった「新元号は平成」の号外は,いまも手元に残っている。
posted by gecky at 22:31| Comment(0) | TrackBack(0) | エッセイ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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