ちなみに,いまの妻は当時の同級生である。…ということは決して口外してはならないトップシークレットなので書かないが,当時住んでいた家から小学校までは,車の走らない団地の中の歩道を抜けて6〜7歳児の足で20分ほどの道のりだった。登校時はたいてい友達と一緒だったが,1人のときもあった。確か小学2年の冬頃,学校代表の合唱団のメンバーに選ばれ,早朝から練習があったので,そのときは1人だった記憶がある。
1人のときは退屈なので,家から学校まで電車ごっこをしながら歩いた。家の玄関が始発駅で小学校の校門が終着駅である。途中,橋の手前,公園の横,団地の集会所の入口など,ところどころに自分で勝手に作った駅がある。小学2年にしてちゃんと列車運転ダイヤを作り,早く歩き過ぎたときは途中駅で時間調整をした。
当時の駅の1つがここ:

この写真はつい先日撮ったものだが,木がだいぶ成長した以外は30数年前とまるで変わっていない。左に歩いて行くのは知らない人。この場所,右に行くと小学校の本校,左に行くと分校(いまは中学校になっている)という重要な分岐点だから,当然私の電車ごっこ鉄道でも重要な駅の1つであった。
この地点の駅名は忘れたが,とにかくランドセルを背負って1人で小学校に歩いて行く途中,小学2年生の私がこの溝の分岐点の上に立ち止まってから「発車します。次はじゃぶじゃぶ池です。ガタンゴトン」と小声で言っていたのは間違いない。
ある寒い日,少し早足で歩き過ぎたので,この地点で時間調整をする必要が生じた。「××(駅名)です。時間調整のため少々停車します。」と言って,ここに立ち止まり,発車時刻を待っていると,いつの間にかすぐ後ろに見知らぬおばさんが近付いて来て,声を掛けられた。「ぼく,どうしたの?」
小さい体の小学生が,1人で道ばたで立ち止まっていたら,そりゃ具合が悪くなったか足が痛くなったかとでも思うだろうな。「時間調整しています」とも言えず,仕方なく所定時刻よりも早く列車を発車させたことが,つい昨日のことのようである。