2006年01月09日

電子化の話(その4)

不要なものは捨て,必要なものは取っておく。掃除・片付け・整理整頓の基本中の基本である。しかしこれがなかなか難しい。不要か必要かの判断が難しいという場合もあるが,不要であることが分かりきっているのに捨てられないものがある。そのものへの「情」や「愛着」の所為である。しかも,時としてその情や愛着はなかなか説明し難い。

私は,結婚するだいぶ以前に,現在住んでいるマンションを購入して1人で引っ越してきた。しばらくは独り暮らしなので,とりあえず最低限の生活道具を運び込むだけにして,4LDKのうち3部屋には家具も何も置かず,2年以上「ひろびろ〜」と優雅な生活をしていたのである。ということは内緒にしておくが,最初にここにやってきた時に,それまで住んでいた家から1足の「スリッパ」を連れてきた。とりわけどうということのない安物のスリッパだったが,冷たい床の上ではなかなか重宝し,特に履きにくいわけでもないから,気にせず2年以上家の中で使い続けた。

やがて自然の摂理でボロボロになったので,新調すると同時にその慣れ親しんだスリッパはベランダの隅に追いやられた。まぁそのときに捨ててしまえばよかったのかもしれないが,ボロボロとはいえベランダでちょっと作業する時にでも履けるかなぁ,と考えたのだろう。

時が過ぎ,結婚して数か月経った頃,ようやく本来の生活感を得た4LDKをせっせと掃除していた妻にそのスリッパは発見された。ただでさえボロボロの上に,ベランダの隅に置いてから一度も使っていないのだから,埃だらけのゴミ以外の何でもないような代物になり果てている。

「これ捨てるね。」
「あ,ちょっと待って,それ捨てないで。」

それは,念願のマイホームを手に入れて最初にやってきた日に持って来た数少ないアイテムの1つなのである。したがっていまとなっては何とも感慨無量である。軽々しく捨てられるものではない。だがそういう事情を説明するのは至って困難だし,どう見てもゴミだよなぁ,これ。

「どうして?? こんな汚いもの取っておくの?」
「いや,あのね,それすっごく貴重なスリッパなの。」

とは言わなかったと思うが,手に取るのも憚られるような汚れ様に,やはり捨てるしかないか。

そういうことってありませんか? 他人が見たらどう見てもゴミにしか見えないのに,誰か特別な人に貰ったとか,特別な時に使っていたとか,それを見るとあの○○だった当時を思い出すとか。

しかし捨てるしかない場合の緩衝策(少しでも捨てることに関する心の傷みを和らげる方法)は,言うまでもなく「写真を撮ってから捨てる」である。そういう場合,デジカメほど便利な道具はない。特に愛着のないものであっても,「こういう物体を持っていたという事実を記憶しておきたい」だけの場合,写真に撮っておけば,書類のスキャンと同様,ほぼ無限個の「もの」が保管できるのである。

そうやって撮った写真は,もちろんプリントしてアルバムに貼る必要などない。いつか画面で見て「あーこんな物を持っていたなぁ」と思えばよいだけである。これも一種の電子化。でしょ?

着られなくなったのに思い出が詰まっていて捨てられない洋服があったら,デジカメで写真を撮ってから捨てるといいよ。
posted by gecky at 23:52| Comment(0) | TrackBack(0) | 科学技術 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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