2006年10月28日

帰ってきた青いオサカナ

1か月以上前のとある日。王子と洗面所のシンクに水を貯めてプラスチック製のオサカナ(青・黄・ピンク・オレンジの4色ある)を浮かべて遊んでいたら,いつの間にか水位が一杯になり,オーバーフロー防止穴(というのかどうか知らないが,洗面器から水が溢れないよう横にある穴)から青いオサカナが流れていってしまった。慌てて水を止め,そこから流れ付くはずの配水管を外してみたものの見付からない。軽いプラスチック製だったので勢いでそのまま下水管へ流れていってしまったと思われる。

「アオイオサカナイナクナッチャッタ〜」と泣き叫ぶ王子を,「青いオサカナさんね,きっと海に行っちゃったんだよ。ここにいるより海で泳いでたほうが気持ちいいでしょ。きっとまた帰ってくるから待ってようね」と,必死になだめる。王子との入浴時にいつも4匹浮かべて遊んでいたオサカナだけに,青いのが1匹いなくなってしまったのは何とも哀れである。入浴の度に,「アオイオサカナウミイッチャッタネ。マタカエッテクルネ?」と何度も何度も王子に尋ねられる。

それ以来,オモチャ売り場や駄菓子屋やサービスエリアの土産物売り場などを覗くたびに,あれと同じオサカナセットが売っていないか探したものの見付からない。仕方なく,寿司に付いていたオサカナ形の醤油入れ(たまたま蓋が青いやつ)を代用にしようと,海に行って帰ってきたらカラダが透明になっちゃったよ,と言ってみるも,あの流れていったオサカナと同じとは信じてくれない(当たり前か)。

今朝,シンクの排水が悪い気がしたので,パッキング受けの部分を外して掃除しようとしたら,なんと,横の小さな穴にあの青いオサカナの尾の部分が見えている。オーバーフロー穴から流れた水は,こんなところに流れ込む構造になっていたらしい。

さっそく王子を呼ぶ。抱いて上から覗かせたら「アオイオサカナウミイッテカエッテキタ〜」と大喜び。1か月以上経っているのにちゃんと覚えているのである。この記憶力のスゴさは親譲り? さっそく救出作戦を開始するも,これが意外に難航。オーバーフロー穴からパッキング受けの横に流れる管の径が,オサカナの胴体の幅ギリギリで,背びれの部分が引っかかり容易に取り出せないのである。今日まで見えなかったのも,管の中をゆっくり押し出されてようやく先端まで来たからに違いない。

ラジオペンチとピンセットとドライバーを使い,背びれの部分を少し潰してみたところ,ようやく穴から抜け出てきた。背びれを潰すところを見ていた王子は,「オサカナサンイタイイタイ」と言って号泣。

かくしてめでたく帰還した青いオサカナとその仲間たち。右は1か月代用していたニセ青いオサカナ。
オサカナ
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2006年10月23日

旅コン博士

かつて,東京駅八重洲口に「旅コン博士」なる巨大な機械が置かれていたのをご存知だろうか? 正面に巨大な日本地図があり,各地の観光名所や目的地の駅名などにそれぞれ4桁くらいのコードが付けられていて,数台設置された端末からそのコードを入力すると,ドットインパクトプリンタから観光地の情報やそこへの時刻表などが印字されるというもの。誰でも自由に利用できて,いくら印刷しても無料だった。設置当初は,常に数台の端末の前に行列ができていたような覚えがある。インターネットなどなかった時代の話である。

幼時の私はこの機械が大好きで,東京駅を通るたびにわざわざ立ち寄り,用もない行き先の情報をせっせと印刷していた。入力するコードによって,つまり情報の内容によって,印刷されるページが異なり,少ないものだと連票式の用紙1枚だけで終わりだが,たとえば「京都」などは10ページ以上もあり,そういう情報量の多いコードを見つけるのが楽しみだった。

この機械,画面に表示するのではなく,紙面に印刷されてそれを持ち帰ることができるのがポイント。それなりのコストがかかったはずだが,確か大手パソコンメーカの某社がスポンサーで,初期の頃は用紙の下部にあらかじめ広告が印刷されていたような気がする。インターネット時代の発想を先取りしている。

そのインターネットが当たり前になり,しかも情報はなるべく紙にせず電子化したい今日となっては,無用の長物(実際に横幅は10メートル以上あった)ということか,さすがにもうなくなってしまったが,いつ頃まであったんだろうと思って調べてみたところ,2002年に運用終了,とある。意外に最近まで生き残っていたらしい。
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2006年10月19日

宅配ロッカー

確かに不在のときに新聞をどうするかは厄介な問題である。

私の住むマンションでは,朝刊は玄関先の新聞受けに,夕刊は集合玄関の郵便ポストに入れられることになっているのだが,2日分も溜めてしまえば,不在なのが一目瞭然である。仕方がないので,新聞屋に頼んで止めてもらうと,そこの配達員が空き巣に入る。すごい原理である。

解決策:中が見えない深く大きな箱を新聞受けにすればいいかも。

ところで,いまどきのそれなりのマンションではどこでも至極当たり前の設備のようだが,私のマンションにも「宅配ロッカー」がある。入居する前は,マンション住まいに慣れていなかったこともあって,「ふーん。そんなものがあるのか」と思った程度なのだが,これは極めて便利である。宅配ロッカー付きのマンション人には説明は必要ないが,意外に仕組みを知らない人が多いのでちょっとだけ書いてみる。

不在の間に宅配便や郵便小包が届く。不在なのが分かると,配達員は宅配ロッカー室に行き,あらかじめ持たされている業者用カードを入れてロッカー内に荷物を入れる。すると機械からレシート状の不在配達票が出てくるので,それを配達先の郵便ポストに入れておく。

帰宅して,ポストに不在配達票が入っていたら,これもあらかじめ全戸に持たされている専用のカードを持って宅配ロッカー室に行く。機械にカードを入れると,荷物が入ったロッカーが開く。

荷物が届くのが分かっているときでも待っている必要がないし,配達員にとっても不在の配達先に何度も出直す必要がないから便利なはずだ。要冷蔵品など荷物の内容によっては持ち帰られてしまうこともときどきはあるのだが。

この宅配ロッカー,荷物の受け取りだけでなく,あらかじめ手続きをしておけば荷物の発送やクリーニング預けなどにも使える。最近は,宅配業者に電話1本で荷物を取りに来てもらえるが,即座に来てくれるわけでもないから忙しいときにこの機能は便利である。

しかし,このロッカーの利用情報は,管理会社が遠隔で管理している。荷物が入れられたまましばらく取りに行かないと,催促の電子メールが届く。それでも取りに行かないと電話がかかる。管理会社にはどの家が不在なのかが一目瞭然らしい。小包や宅配便は,いつ届くか分からないから,あらかじめ止めてもらうことなどできず,新聞より危険かもしれない。

しばらくは空き巣に警戒。ということで,最近某試験にも出題されたセキュリティロック(鍵)を全ガラス戸に採用してみることにした。
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2006年10月12日

物持ち

たとえばオフィス用紙の裏紙。すなわち裏面が白い不要な書類。ちょっとしたメモに使えるなと残しておくと,あっという間に増える。だいたい「ちょっとしたメモ」などそんなにたくさんするはずがない。段ボール1箱分ほどにもなり,こんなに裏紙があってもしょうがないかとまとめて捨てようとすると,いかにも資源を無駄遣いしている気がして心が痛む。

デパートの紙袋とか,包装紙とか,お菓子の入っていた箱とか,いちごのパックとか,そういうものもすぐに捨てずに「いつか何かに使えるかも」と残しておくと,あっという間に増える。紙袋が何十枚も必要なことなど滅多にないのにである。

タダ同然のものでもそんな具合だから,買った物であればなおさらである。PCを新調しても古いやつはそう簡単には捨てられない。いつか何かに使えるかも,ととりあえず残しておく。個人でならまだしも,研究室のような組織でこれをやるとあっという間に古いPCが何台も溜まる。溜まる割に,何かに使える機会はほとんど来ない。中古品として下取りに出せば数千円分くらいにはなるのだろうが,私費で購入したわけではないからこれはやりにくい。もとより私の職場では規定の年数以内しか使っていない機器は捨ててはいけない決まりになっている。

パソコンの本体よりも厄介なのはいわゆるCRTディスプレイである。体積が大きいから場所を取る。最近は液晶ディスプレイが安価になってきたので,我が研究室でも数年前から徐々に液晶に切り替えてきた結果,不要なCRTディスプレイがどんどん溜まり,かなりの床面積を占めるようになってしまった。これ欲しい人いない? と学生に聞いてみても,昔と違って贅沢な学生たちは汚れた古いものには見向きもしない。

かくしてなんとなく保存し続けていたのだが,今日,ついに思い立って一気に廃棄を敢行した。裏紙が段ボール一杯になったようなものかもしれない。廃棄に必要な手続きを踏み,粗大ゴミ置き場の鍵を借りてくる。それから学生たちにも手伝ってもらい不要なディスプレイを研究室の中央に集めてみたら,なんと10台ほどもある。もちろんいずれも故障しているわけではなくまだ使えるものばかりである。途上国にでも送れば喜ばれるだろうにな,と思いながら,我々にとっては研究室から少しく離れた粗大ゴミ置き場まで運ぶだけで精一杯。

研究室の床面積が広がった気がしたのでそのまま大掃除モード。部屋がすっきりして学生たち共々喜んだのだが,私は大いなる資源の無駄遣いをした気分になって心が痛んだ。しかし,大掃除の結果,捨てるしかない機器がまだ一山あることが判明したのである。1か月くらい経って心の痛みが和らいでからにしよっと。
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2006年10月09日

シェーンベルク

気が付いたら頭の中を音楽が流れているということがよくある。どういうわけか好きな曲やよく聴く曲ではないことが多い。普通はただ頭の中を流れるだけで,その曲が何の曲かは意識しないが,ときどき猛然と気になることがある。曲名がすぐに分かればそれまでだが,分からないときは始末が悪い。

今日の昼下がり,ボーッと食後のコーヒーを飲んでいるときに閃光のごとく一瞬頭の中を流れた旋律は,その手の「始末が悪い曲」では過去最高であった。どこかで聴いたことのある無調のメロディ。オーケストラ曲かピアノ曲かすら分からぬ。しかも曲の先頭とかサビではなくただのフレーズ。

探索の詳細は省略するが,CDを50枚分くらい(実際にはiPodに収めてあるのだが)サーチし,ようやく何の曲か判明したのは夜10時過ぎだった。忘れないために記録:

シェーンベルクの「6つのピアノ曲 作品19」の4曲目。

ほんの20秒ほどで終わる曲の後半部分のみ。前後を含め,格別好きな曲ではないし,そもそもシェーンベルクなどそう滅多に聴かないのに,である。

無調やセリーの音楽の芸術的価値を明確に感じられる感性を自分は持ち合わせていないと思い込んでいたが,深層心理には染みついているのかもしれない。
posted by gecky at 23:43| Comment(0) | TrackBack(0) | 音楽 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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